2008年9月21-22日 飛騨高山

2008年09月21日 13:27

2008年9月21-22日 (第19回) 飛騨高山
(湖西道路-北陸道-九頭竜湖-郡上八幡-R472-高山(泊)-白川郷-九頭竜湖-北陸道-名神)


今年も同じホテルアソシア高山リゾートに泊めていただく。2日目朝の出発、雨・・・。

昨年の飛騨高山行は大雨だったため、本年も同じ9月、同じコースで再び飛騨高山を目指した。バイク17台、伴走車1台の編成もほぼ同じである。そして図らずも昨年よりひどい大雨に遭遇したのである。1日目後半から2日目まで雨はここぞとばかりにほとんど止むことなく、白川郷も走り抜けただけで折り返す。

白川郷について2003年3月20日の新聞(紙名不詳)が伝えている。
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合掌家屋は「火薬工場」

世界遺産の白川郷合掌家屋はやはり「火薬工場」だった。
岐阜大学教育学部の馬路秦蔵教授(59)が白川村の農家で実施した床下の遺構調査などから、火薬原料の「焔硝」が作られていたことを科学的に証明した。白川郷の焔硝作りは知られていたが、微生物や糞尿などを使った基本的な製造メカニズムが明らかになった。ただ原料の配分など謎も残り白川郷の新たな注目点になりそうだ。

  (1) 囲炉裏周辺の床下に蚕糞、乾いた田の土、ヒエ殻や山野草などを入れる
  (2) 混ぜ合わせて人の尿をかける
  (3) 窒素化合物を土壌微生物の働きで硝酸イオンに変化させ焔硝土ができる
  (4) 焔硝土から水で硝酸塩を抽出して濃縮する
  (5) 木炭を加えて冷まし純度の高い焔硝が析出する

という「土壌微生物の分解作用でアンモニアから硝酸に変化する一連の働き」が基本原理。
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日本国内では硝石は産出せず武器の火薬原料となる焔硝の確保は重要だったに違いなく、白川郷は寒冷地で収穫できない米の代わりに焔硝を納めることで前田加賀藩の基礎を守っていたといっていい。


2日目は九頭竜湖付近を除き安全のため全て高速道路を走る。まだ昼間なのに雨雲と霧で薄暗く寒くなった山間部をどの車も速度を抑えて淡々と走り続ける。そのまま全車無事に帰着することができた。ありがとうございました。

家に帰ってからわかったのだがその日は大阪では朝から強い雷雨で大雨注意報が出ていたそうな。気象庁のデータでも彦根などで1時間20mmの降水量などが記録されている。

(FZ6)


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