2008年4月20日 (第15回) 琵琶湖湖北-朽木

2008年04月20日 16:22

2008/4 琵琶湖湖北
(湖西道路(R161)-メタセコイヤ並木-福井県境(R8)-朽木(R367)-京都)


左:道の駅しんあさひ風車村(滋賀県高島市)  右:マキノ-メタセコイヤ並木

昨年と同じくしんあさひ風車村を訪問。しかし昨年より日程が遅く菜の花の盛りの時期を逸していた。しかしそれでも視界いっぱいに広がる菜の花畑と比良山系は美しいしこれだからこそ人間もリフレッシュできる。

司馬遼太郎は「街道をゆく(湖西の道)」でこの安曇川流域のことを語っている。
湖西の安曇人(あずみびと)
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  「安曇(あど)」
  という呼称で、このあたりの湖岸は古代ではよばれていたらしい。
  この野を、湖西第一の川が浸して湖に流れ込んでいるが、川の名は安曇川という。
  安曇は、ふつうアヅミと読む。古代の種族名であることはよく知られている。
  かつて滋賀県の地図をみていてこの湖岸に「安曇」という集落の名を発見したとき、
  (琵琶湖にもこの連中が住んでいたのか)
  と、ひとには嗤(わら)われるかもしれないが、心が躍るおもいをしたことがある。

    ・・・

  アズミは日本の地名では、厚海、渥美、安積、熱海などさまざまに書くが、
  いずれも海人族らしく潮騒のさかんな磯に住みついているのに、この琵琶湖の
  西岸にやってきた安曇族は、なんとも侘しげで、
  ひょっとするとほうぼうの海岸の同族と大げんかして、ついに内陸にのぼり、
  やっとこの湖をみつけてしぶしぶながら住みついたひねくれ者ぞろいだったかもしれず、
  「きっとそうに違いありませんよ」
  と、湖西安曇野を歩きながらそういうと、 ・・・
  -------

その後はマキノスキー場の手前のメタセコイヤ並木へ向かう。



左:昨年も訪れた「峠の蕎麦屋」 右:往復でよく利用するマキノ のコーナン給油所

全車無事帰還。
ありがとうございました。

(FZ6)


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