2010年5月16日(№30)生野銀山-竹田城址

2010年05月16日 23:59

2010年5月16日(№30)生野銀山-竹田城址

過去に計画しながら台風で中止になった生野銀山コースに竹田城址を加え、新緑の山々の中を走りました。

Virago TMAX FZ6 CB750 FZ1 CBR1000XX Tiger1050 CB1300SF XJR1300 GSR1400 MT-01


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(左)生野銀山正門 (右)生野銀山駐車場

8時出発。高槻から樫田経由の山越え、亀岡・湯の花温泉からR372で丹波篠山に向かいます。
丹南篠山口ICから舞鶴若狭自動車道、春日ICから北近畿豊岡自動車で青垣ICまで、あとはR429でカーブばかりの山中を越えて11時に生野銀山に到着。銀山湖ではバスフィッシングの人々がボートを浮かべていました。カーブを通過することで精一杯で釣りを見ている余裕は全くありませんでしたが。

生野銀山の中へは6人が見学、およそ40分だそうです。最近見学している5人は外で社長自慢のコーヒーを沸かして待ちます。大型バスや自家用車も結構たくさん来ています。

史跡生野銀山のページへ


このあと「道の駅あさご」で昼食。皆はすき焼きうどん、ギリシャ青年は母国の経済危機を憂いながらピラフです。
竹田城址はすぐ先です。

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(左)城址への急坂 (右)本丸跡に到着

急勾配の道を登り駐車場に到着。駐車場は30台程度の広さですが満車状態です。「城址までここから10分」の案内板と「熊が出ました」の注意書きがあります。10分といってもかなりの急勾配でXJR氏とGSR氏は途中休憩です。「誰が山登りに連れてきた!」というブーイングも。でも石垣の上に到着するとその爽快さに皆満足です。

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(左)ギリシャ人は大感激「今日は良かった!」 (右)最も高い天守閣跡にて

築城1431年。時代ごとに整備が進み羽柴秀長が城代であったこともある。1600年の関が原の戦いで徳川への流れが固まり廃城。この城の賦役のため農民は「田に松が生えるほど」困窮したという。

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(左)南西方面 (右)南・竹田駅方面

城址は標高353m、平地は標高80mなので標高差は270mくらいあると思われます。足がすくむ高さです。南北400m、東西100mという城の広さも実際に見るとたいへん大きいものです。


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(左)本丸跡でしばし休息 (右)北・和田山方面

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(左)本丸跡に立つ仙人 (右)下りは結構勾配が急

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(左)搦手口にて 

下りで道を誤り搦手口へ。ここは行き止まり。搦手口とは城の非常口のような役割の小さな門。大手口と対比。


朝来市観光情報のページへ
朝来市和田山町観光協会のページへ


今日は戦国時代の但馬地方の歴史と、同じく戦国時代から極最近(1973年)まで採掘が行われていた鉱山の歴史を学ぶ旅になりました。次回は雲海を見ることができる季節・時刻に訪れたいものです。和田山ICから北近畿自動車道に乗り、往路と同じルートで16時30分ごろ高槻に無事帰着しました。


コメント

  1. マサ | URL | -

    Re: 2010年5月16日(№30)生野銀山-竹田城址

    酷い坂道!!と言う気持ちはどこへやら・・・ってなくらいにいい景色!良かったです!!道もかなり細くくねくねと・・・おやぢライダー達!お疲れ様でした!筋肉痛は3日後です!今回は何もトラブル無くツーリングができました。感謝です。来月も頑張りましょう!

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