2011年4月17日(No.36)湖北桜街道周遊

2011年04月26日 06:00

2011年4月17日(No.36)湖北桜街道周遊

今回は湖北に桜を訪ねる旅だ。
ルートと季節は2009年4月19日の湖北ツーリングとほぼ同じ。
湖北の桜(琵琶湖八景「暁霧・海津大崎の岩礁」)は「日本のさくら名所100選」に選定されている有名な景勝地。碧く澄んだ静かな湖面に比良山脈の山稜がそびえ神秘的な風景となっています。

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(左)湖西道路を快走する (右)快晴の新旭風車村

9時出発。大山崎ICより名神に入る。
京都東ICより湖西道路(R161)を北に向かう。

近江高島でR161から湖周道路r303-r333に入る。琵琶湖西岸に沿って走るこのルートは長い桜並木と(年によるが)一面の菜の花畑を楽しむことができる。

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湖周道路r303-r333

新旭風車村に到着。空は青く澄み渡り快晴。山々は霞んではいるが遠くまで見通せる。


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(左)峠の蕎麦屋孫兵衛 (右)孫兵衛前のR8 「孫兵衛桜」は写っていない

海津大崎を経由してr286経由R8を北上し滋賀・福井の県境にある「とろろそば孫兵衛」に至る。
孫兵衛の店主である西村家は松尾芭蕉との関係がある。
なんと有名な「奥の細道」の原本のひとつが保管されているのだ。

芭蕉が弟子の素龍に清書させた「素龍清書本(西村本)」が残されている。芭蕉が表題だけを自筆したもので、芭蕉の弟子向井去来から幾人かを経て、敦賀の俳人白崎琴路に渡り、さらにその親戚の西村家に伝わったという。現在世間一般に知られる「おくのほそ道」はこの西村本を指すのだそうだ。
なお自筆の表題は「おくのほそ道」と書かれており「奥の細道」は正式名ではないそうだ。

芭蕉と曾良は元禄2年(1683年)3月江戸を出発。日光、福島、松島、平泉、月山、酒田、新潟、越前永平寺をめぐり、同年8月敦賀から大垣に至る。大垣から伊勢参りに出発するところで「おくのほそ道」は終わる。芭蕉と曾良は敦賀から門人たちの待つ大垣に向かう際、現在はR8となっているこの孫兵衛の前の北国街道を通っていったそうだ。

おくのほそ道(wikipedia)




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(左)マキノ高原方面 (右)マキノのメタセコイヤ並木

県道小荒路牧野沢線には、延長2.4kmにわたってメタセコイアが約500本植えられ、マキノ高原(マキノスキー場)へのアプローチ道として高原らしい景観を形成している。それまでは普通の日本の田舎の田園風景の中を走っていたのにいきなり「高原」に切り替わるため驚く。

この並木は昭和56年(1981年)に植林が始まり地域の人々の手に育てられ、やがて県道にも植栽され距離が伸ばされたことから現在のこの雄大な姿となったそうだ。

メタセコイアは、中国原産、スギ科メタセコイア属の落葉高木で、和名はアケボノスギ。樹高は35mに及ぶ。最大樹高が115mに及ぶといわれるセコイアにその姿が似ていることから、メタ(変形した)セコイアと名づけられている。

平成6年(1994年)11月、読売新聞社の「新・日本の街路樹百景」に選定。


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道の駅新朽木本陣で



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