2010年08月15日 23:00
第1日 高槻-馬篭宿-妻篭宿-(御嶽山スカイライン)-開田高原-(野麦峠)-高山
第2日 高山-五箇山郷-[氷見港]-[能登島大橋]-千里ケ浜-高槻
( )内は悪天候のため断念 [ ]は追加
今年の1泊ツーリングは9名と参加者が減少。20名近い人数のツーリングより少人数・ローカルでの長距離走行やオフロード、また「花を愛でる旅」のように特定テーマへとシフトしているようです。
雨模様の名神高速をゆく (6時前後)
(左)TriunphTiger1050 (右)BMWの計器盤 (6時前後)
5:30に名神高速の桂川PAに集合。ただし皆が自宅で出発準備中の3:30から4:45の間、雷を交えた豪雨となり早くもツーリングに暗雲が立ちはだかった形となる。昨日、台風4号が通過した後、南からの暖かい風が日本列島に吹き込んでいるためだ。ともあれ皆、濡れねずみながらとにかく出発する。京都南付近で若干の渋滞があったものの、ほぼ順調に養老SA、恵那SAを経て中津川ICに到達。
妻籠宿を歩く (10時)
馬籠宿を通過し旧中仙道(r7)で妻籠峠を越えるところがやや道を誤りR19に戻ってから妻籠宿に入る。想像よりよくもとの様子が残されている。三重県の関宿、福井県の熊川宿はあまりにも直線的に街道が(近代的に)再構成されている感がありやや違和感がある。中国人らしい観光客も結構多い。
百草丸で豪雨の通過を待つ (14時30分)
R19を北上し御嶽山スカイラインに向かう途中で2台が行方不明になる。途中で白バイとの合同ツーリングとなって遅れてしまい誤ってロープウェイの方へ向かったのだ。御嶽山スカイラインの入り口、御岳湖の牧尾ダムの近くの百草丸レストランで待ち合わせる。このとき13時-14時の間、バケツをひっくり返したような豪雨となる。予定通り片道33Kmの御岳スカイラインへの往復に入っていたらおそらく帰路の途中の山の中でこの豪雨をしのぐはめになっていたに違いなく、全く何が運か分かったものではない。
木曽馬牧場 馬は雨も心地良さそうに草を食んでいる (15時30分)
御嶽山スカイラインを諦め、続く野麦峠経由のルートも諦め、開田高原からそのまま美女峠を通って高山に向かうことにする。このように気象や時間を計算し柔軟に計画を変更できることが優れたチームの条件であることは言うまでもない。
まだ降りしきる雨の中を開田高原から木曽馬牧場に寄り道し高山に至る。
JR東海氏のお世話になって今回もアソシア高山リゾートに止宿。濡れねずみになって到着するのも毎回のことであるが礼儀正しく雨具類は外でバッグなどに詰めてからロビーに入る。17時。
露天風呂から東を見る。穂高連峰から御嶽山までが並んでいるが雲が架かっていて見えない。
(左)飛騨牛のお店・雨は降り続く (19時30分) (右)アソシア高山リゾートのラウンジで (21時)
高山駅隣のJAひだ焼肉ハウス味蔵天国へいくと1時間半待ち。一昨年飛騨牛偽装事件で話題になった丸明に電話すると「14組がお待ちです」。タクシーの運転手さんに空いている店を探してもらう。飛騨牛焼肉丼が2,800円で会計係としては少し厳しい。丼といっても一人ずつコンロが出て朴葉味噌の上で肉を焼く。
朴葉味噌(ほうばみそ)は今でこそ高山の主要な土産であるが、古くは冬の間深い雪に閉ざされた飛騨の人々が飢えをしのぐための食材であったそうだ。
富山から飛騨に米を運ぶには背負子で背負って運ぶしか方法がなかった。また飛騨から難所で知られる野麦峠を通って信州へ至るが、飛騨に比べれば信州はずいぶん開けた下界であったそうだ。飛騨は天上の国であり、江戸時代初期に開拓された高山が今日も小京都の気品を漂わせているのも、当時盛んに金銀銅が採掘できたことにあわせ、歴史が他の地方よりゆっくりと通り過ぎていったことと無縁ではないように思える。
(左)東・穂高連峰方面 (右)東南・御嶽山方面 (6時20分)
朝5時、露天風呂から東を見る。穂高連峰から御嶽山までが並んでいるが雲が架かっていて見えない。
しだいに朝霧が高山の盆地を白く埋め尽くしていく。「高山市」は面積で日本最大の行政区であり、東京都の面積を超えている。多くを占める深い山河とともに人の心もおおらかであろうと思われる。
アソシアを出発、五箇山へ向かう (8時20分)
五箇山 (10時)
五箇山 (10時)
2日目。高山ICから高山清見自動車道に入り、東海北陸道を北上して五箇山ICに至る約50Km。五箇山ICから庄川に沿って6Kmで五箇山の合掌造りの里に至る。白川郷はすっかり観光基地化してしまった。五箇山は白川郷に比べれば3割程度の観光化だろうか。合掌造りの家々にはまだ自然の生活が残っているようだ。地元は何とか村おこしをしようと努力されているのだろうが観光化は避けてほしいものである。
氷見漁港にある「海寶」 (12時)
氷見市場食堂「海寶」
(右)能登島大橋の広大な公園で (14時)
千里ケ浜 右は千里ケ浜内にあった交通標識 (15時)
五箇山から氷見漁港へ、それから能登島大橋を今回ツーリングの最北端として折り返し、千里ケ浜のなぎさドライブウェイを経て、北陸自動車道-名神高速-京滋バイパスで、20時30分頃、全車無事帰着。
走行距離970Km。ただし60Km多いバイクが2台あり。
メンバのみなさんありがとうございました。
(CB750)
第2日 高山-五箇山郷-[氷見港]-[能登島大橋]-千里ケ浜-高槻
( )内は悪天候のため断念 [ ]は追加
今年の1泊ツーリングは9名と参加者が減少。20名近い人数のツーリングより少人数・ローカルでの長距離走行やオフロード、また「花を愛でる旅」のように特定テーマへとシフトしているようです。
XJR1300 BMW_K1200RS Triunph_Tiger1050 CBR1000XX CB750 TMAX Versys650 FZ6 Virago今年は高速料金上限1000円に高速無料化が加わり渋滞がさらに激しくなる見込み。渋滞での遅れとスケジュールをどう整合性をとってメンバの意見をまとめられるかが課題となります。
雨模様の名神高速をゆく (6時前後)
(左)TriunphTiger1050 (右)BMWの計器盤 (6時前後)
5:30に名神高速の桂川PAに集合。ただし皆が自宅で出発準備中の3:30から4:45の間、雷を交えた豪雨となり早くもツーリングに暗雲が立ちはだかった形となる。昨日、台風4号が通過した後、南からの暖かい風が日本列島に吹き込んでいるためだ。ともあれ皆、濡れねずみながらとにかく出発する。京都南付近で若干の渋滞があったものの、ほぼ順調に養老SA、恵那SAを経て中津川ICに到達。
妻籠宿を歩く (10時)
馬籠宿を通過し旧中仙道(r7)で妻籠峠を越えるところがやや道を誤りR19に戻ってから妻籠宿に入る。想像よりよくもとの様子が残されている。三重県の関宿、福井県の熊川宿はあまりにも直線的に街道が(近代的に)再構成されている感がありやや違和感がある。中国人らしい観光客も結構多い。
百草丸で豪雨の通過を待つ (14時30分)
R19を北上し御嶽山スカイラインに向かう途中で2台が行方不明になる。途中で白バイとの合同ツーリングとなって遅れてしまい誤ってロープウェイの方へ向かったのだ。御嶽山スカイラインの入り口、御岳湖の牧尾ダムの近くの百草丸レストランで待ち合わせる。このとき13時-14時の間、バケツをひっくり返したような豪雨となる。予定通り片道33Kmの御岳スカイラインへの往復に入っていたらおそらく帰路の途中の山の中でこの豪雨をしのぐはめになっていたに違いなく、全く何が運か分かったものではない。
木曽馬牧場 馬は雨も心地良さそうに草を食んでいる (15時30分)
御嶽山スカイラインを諦め、続く野麦峠経由のルートも諦め、開田高原からそのまま美女峠を通って高山に向かうことにする。このように気象や時間を計算し柔軟に計画を変更できることが優れたチームの条件であることは言うまでもない。
まだ降りしきる雨の中を開田高原から木曽馬牧場に寄り道し高山に至る。
JR東海氏のお世話になって今回もアソシア高山リゾートに止宿。濡れねずみになって到着するのも毎回のことであるが礼儀正しく雨具類は外でバッグなどに詰めてからロビーに入る。17時。
露天風呂から東を見る。穂高連峰から御嶽山までが並んでいるが雲が架かっていて見えない。
(左)飛騨牛のお店・雨は降り続く (19時30分) (右)アソシア高山リゾートのラウンジで (21時)
高山駅隣のJAひだ焼肉ハウス味蔵天国へいくと1時間半待ち。一昨年飛騨牛偽装事件で話題になった丸明に電話すると「14組がお待ちです」。タクシーの運転手さんに空いている店を探してもらう。飛騨牛焼肉丼が2,800円で会計係としては少し厳しい。丼といっても一人ずつコンロが出て朴葉味噌の上で肉を焼く。
朴葉味噌(ほうばみそ)は今でこそ高山の主要な土産であるが、古くは冬の間深い雪に閉ざされた飛騨の人々が飢えをしのぐための食材であったそうだ。
川尻さんはなつかしそうにとり入れの風景をながめている。
「あの赤かぶは、漬ものにするんです」
さらに、いった。
「葉っぱのまま漬けるとおいしいんです。家によっては葉っぱをとって漬けますが。…飛騨では冬が長いから、たくさん漬けます。私の子供のころなど、冬の副食物は、かぶの漬ものと朴葉の焼きみそだけでした」
飛騨のいのちを養ってきたんです、と言わんばかりだった。
(司馬遼太郎「街道をゆく(飛騨紀行)」より)
富山から飛騨に米を運ぶには背負子で背負って運ぶしか方法がなかった。また飛騨から難所で知られる野麦峠を通って信州へ至るが、飛騨に比べれば信州はずいぶん開けた下界であったそうだ。飛騨は天上の国であり、江戸時代初期に開拓された高山が今日も小京都の気品を漂わせているのも、当時盛んに金銀銅が採掘できたことにあわせ、歴史が他の地方よりゆっくりと通り過ぎていったことと無縁ではないように思える。
(左)東・穂高連峰方面 (右)東南・御嶽山方面 (6時20分)
朝5時、露天風呂から東を見る。穂高連峰から御嶽山までが並んでいるが雲が架かっていて見えない。
しだいに朝霧が高山の盆地を白く埋め尽くしていく。「高山市」は面積で日本最大の行政区であり、東京都の面積を超えている。多くを占める深い山河とともに人の心もおおらかであろうと思われる。
アソシアを出発、五箇山へ向かう (8時20分)
五箇山 (10時)
五箇山 (10時)
2日目。高山ICから高山清見自動車道に入り、東海北陸道を北上して五箇山ICに至る約50Km。五箇山ICから庄川に沿って6Kmで五箇山の合掌造りの里に至る。白川郷はすっかり観光基地化してしまった。五箇山は白川郷に比べれば3割程度の観光化だろうか。合掌造りの家々にはまだ自然の生活が残っているようだ。地元は何とか村おこしをしようと努力されているのだろうが観光化は避けてほしいものである。
氷見漁港にある「海寶」 (12時)
氷見市場食堂「海寶」
(右)能登島大橋の広大な公園で (14時)
千里ケ浜 右は千里ケ浜内にあった交通標識 (15時)
五箇山から氷見漁港へ、それから能登島大橋を今回ツーリングの最北端として折り返し、千里ケ浜のなぎさドライブウェイを経て、北陸自動車道-名神高速-京滋バイパスで、20時30分頃、全車無事帰着。
走行距離970Km。ただし60Km多いバイクが2台あり。
メンバのみなさんありがとうございました。
(CB750)
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